野中が、戻って来た。
島の外れまで、歩いて行ったと言う。
これで、多くの出会いがあった。
一人の男の子が、ガイド役になり、もう一つのホテルのビーチで、泳いで、叱られたらしい。プライベートビーチだった。
明日、一緒に行こうと、野中が、私を誘う。
私は、ゆっくりするつもりだったが、野中の話を聞いて、行くことにした。
村人たちが、集って、木の実を煮て、それを、餅のように捏ねたものを、ご馳走になったという。
村の人の家も、見せて貰ったと、感激していた。
そして、ガイド役の男の子が、Tシャツが欲しいらしいので、今着ているものを、明日、上げるという。
私も、一枚、Tシャツを用意していたので、それも、明日、上げることにした。
ただ、男の子は、ガイド料として、二ドルを要求したという。
野中は、彼に、二ドルを払った。
それを、聞いて、私は、急に、そのことに興味を持った。
ガイドをして、二ドルを貰うということである。
明日は、ホテルを、夜の11時に出る。それまで、十分に時間はある。
さて、今夜の食事を、どうしようかと思った。
いつもなら、必ず、どこかのスーパーに行く。ここでも、買い物をして、それを食べたいと思った。
野中に言うと、それでいいと言う。
六時前である。
外は、すでに、暗くなっている。
私たちは、近くのスーパーに、歩いた。
ところが、すでに、閉店である。早い。それでは、買い物をする場所はない。と、横を見ると、粗雑な板に、パンやバナナを乗せて売る店がある。
そこしか、買い物が出来ないと思い、近づいた。
男がいた。
パンは、二種類である。私は、二種類を買った。そして、量が多いが、小さなバナナである。日本から持ってきた、笹かまぼこがあるので、それで、夕食にすることにした。
水と、パンとバナナ、笹かまぼこで、十分になった。それでも、パンもバナナも、大量に余った。
あまり書きたくないことだが、食べ物が、不味い。
贅沢を言うのではない。すべて、アメリカンになっていて、肉料理ばかりなのである。そして、その肉の、質が悪い。そのために、味付けをしているのである。
胸が悪くなるような、料理が多い。
前日の夜も、量は多いが、肉料理で、油が多く、うんざりしたのである。そして、パンである。パンは、悪くは無いが、パンをニンニクの油で、焼いているのである。ガーリックトーストならいいが、やわらかいパンに、たっぶりと、油で焼いている。
胸焼けする。
兎に角、こってり料理なのである。
さて、後は、寝るだけである。
何も、することがない。今回は、本も持ってこなかった。
テレビも見ない。
エアコンの室外機の音と、潮騒を聞いた。
実に、不思議な日だった。
目的の追悼慰霊は、一時間で済んだのだが、それは、時間の問題ではなかった。質の問題だった。その質は、あまりに、重く、厚い。
ホテル前の通りは、真っ暗である。
私は、九時頃に、ベッドに着いた。そのまま、眠った。
帰国の日の朝、というか、帰国の飛行機は、深夜便であるから、翌日になるが、ホテルを出るのは、夜の11時である。
七時まで、寝ていた。信じられない程、長く寝た。
野中と、レストランに出て、コーヒーを飲んだ。
腹が空かない。昨日のパンもあり、何も注文しなかった。
コーヒーと、水を飲み続けた。
水は、水道水ではない。飲み水として、別に分けられてある。
部屋にも、大きな、水のタンクが置いてある。
ミネラルウォーターを買ったが、インドネシアのものだった。
1,5リットルで、一ドルである。
水道水は、色がついている。
シャワー以外は、使用出来ない。
一時間ほど、レストランで過ごした。
部屋に戻り、出掛ける準備をする。
食べ物を、すべて持った。昼に、食べようと思う。
島の先までは、歩くと、30分以上はかかるというので、タクシーに乗ることにした。しかし、そのタクシーは、中々来ない。
歩きつつ、通る車に手を上げる。
タクシーと、そうではない車を、見分けられないのだ。
タクシーは、運転席の前のフロントに、タクシーと、手書きで書いてある。
一台の車が、止まった。
タクシーではないが、乗っていいと言う。
後部座席に、二人の母娘が乗っていた。
私は、その母娘の後ろに乗った。
途中で、母娘が降りた。
野中と運転の男が英語で、まくし立てるように、話をする。
そこで、印象に残ったことがある。
道路である。
何故、道路の舗装がなされないのかということである。
結局、政治家が、支援金を、自分たちの、いいように使うからだという。
そこで、あの高校生の、男の子の、政治家になりたいという言葉が、思い出された。
どこの国でも、支援される国の政治家、いや、支援する国の政治家も、結局は、自分たちの、都合の良いように、支援金を使うのである。
勿論、学校教育は、無料であり、子供たちの医療費も無料である。
だが、多くの支援金は、有耶無耶になること、多々あり。
政治家になれば、お金を得られるということになる。
主要産業としては、農業の、ココナツ、タロイモ、バナナ等。そして、水産業であるが、全くなっていない。
漁師が、魚を捕らないのである。水産業も何も無い。
一時期、ココナツオイルの、工場があったというが、閉鎖されている。
日本との、貿易額を見ても、2005年では、輸出が190万ドル、輸入が899万ドルである。あまりにも、歴然としている。
地場産業を作らないのである。
収入を得るためには、海外に出稼ぎに出るしかないのである。
ただ、言えることは、環境破壊が無いということである。
それだけは、見事である。しかし、これからの、島の人の生活を考えると、何かの手立ては、必要である。
車は、島の先端の、ホテルに入った。
私たちは、車を降りて、写真を撮るために、浜に出た。
向こうに、夏島が見える。右手には、竹島である。
白い砂が、眩しく輝く。
ホテルの従業員が、声を掛けて来た。日系人である。
日本人が、懐かしいらしい。
皆で、写真を撮る。
車に戻り、昨日、野中が行った村に、行くことにした。
デコボコの道を、ゆっくりと、車が走る。
暫く、逆戻りすると、村に着いた。
そこで、男が、教会のミサに出るということで、車を返すことにした。
料金である。通常のタクシーは、50セントであるが、彼は、10ドルと言う。
野中が、交渉する。10ドルは、高いと。
すると、5ドルになった。それでも、高い。しかし、私は、もういいと思い、5ドルを出した。
男の言い分は、ガソリンが高いと言うのだ。
収入の無い人には、出来る限りお金が欲しいと思うのは、当然である。
5ドルは、大金である。
10ドルから、半額になるのも、おかしいが、タクシーではなく、好意で、乗せてくれたと思い、支払った。
収入の無い、島の人の、買い物は、一ドル以内である。セント単位の買い物である。
しかし、それも、ままならないのである。
だが、その貧困を、支援する理由にすることは、無い。
それが、島の経済システムである。
支援は、それを、破壊しないようにしなければならない。
つまり、持てる者と、持たない者との、差を作ってはならないのだ。
何でもかんでも、金を出せば良いということではない、ということだ。
島の人の、自立を促し、島の人の生活を、破壊しない、支援である。
実に、慎重にならざるを得ない。
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