木村天山旅日記

トラック諸島慰霊の旅 平成20年1月

第八話

野中が、戻って来た。

島の外れまで、歩いて行ったと言う。

これで、多くの出会いがあった。

 

一人の男の子が、ガイド役になり、もう一つのホテルのビーチで、泳いで、叱られたらしい。プライベートビーチだった。

 

明日、一緒に行こうと、野中が、私を誘う。

私は、ゆっくりするつもりだったが、野中の話を聞いて、行くことにした。

 

村人たちが、集って、木の実を煮て、それを、餅のように捏ねたものを、ご馳走になったという。

村の人の家も、見せて貰ったと、感激していた。

そして、ガイド役の男の子が、Tシャツが欲しいらしいので、今着ているものを、明日、上げるという。

私も、一枚、Tシャツを用意していたので、それも、明日、上げることにした。

 

ただ、男の子は、ガイド料として、二ドルを要求したという。

野中は、彼に、二ドルを払った。

それを、聞いて、私は、急に、そのことに興味を持った。

ガイドをして、二ドルを貰うということである。

 

明日は、ホテルを、夜の11時に出る。それまで、十分に時間はある。

 

さて、今夜の食事を、どうしようかと思った。

いつもなら、必ず、どこかのスーパーに行く。ここでも、買い物をして、それを食べたいと思った。

野中に言うと、それでいいと言う。

 

六時前である。

外は、すでに、暗くなっている。

私たちは、近くのスーパーに、歩いた。

 

ところが、すでに、閉店である。早い。それでは、買い物をする場所はない。と、横を見ると、粗雑な板に、パンやバナナを乗せて売る店がある。

そこしか、買い物が出来ないと思い、近づいた。

 

男がいた。

パンは、二種類である。私は、二種類を買った。そして、量が多いが、小さなバナナである。日本から持ってきた、笹かまぼこがあるので、それで、夕食にすることにした。

 

水と、パンとバナナ、笹かまぼこで、十分になった。それでも、パンもバナナも、大量に余った。

あまり書きたくないことだが、食べ物が、不味い。

贅沢を言うのではない。すべて、アメリカンになっていて、肉料理ばかりなのである。そして、その肉の、質が悪い。そのために、味付けをしているのである。

胸が悪くなるような、料理が多い。

前日の夜も、量は多いが、肉料理で、油が多く、うんざりしたのである。そして、パンである。パンは、悪くは無いが、パンをニンニクの油で、焼いているのである。ガーリックトーストならいいが、やわらかいパンに、たっぶりと、油で焼いている。

胸焼けする。

兎に角、こってり料理なのである。

 

さて、後は、寝るだけである。

何も、することがない。今回は、本も持ってこなかった。

テレビも見ない。

 

エアコンの室外機の音と、潮騒を聞いた。

 

実に、不思議な日だった。

目的の追悼慰霊は、一時間で済んだのだが、それは、時間の問題ではなかった。質の問題だった。その質は、あまりに、重く、厚い。

 

ホテル前の通りは、真っ暗である。

私は、九時頃に、ベッドに着いた。そのまま、眠った。

 

帰国の日の朝、というか、帰国の飛行機は、深夜便であるから、翌日になるが、ホテルを出るのは、夜の11時である。

 

七時まで、寝ていた。信じられない程、長く寝た。

 

野中と、レストランに出て、コーヒーを飲んだ。

腹が空かない。昨日のパンもあり、何も注文しなかった。

 

コーヒーと、水を飲み続けた。

水は、水道水ではない。飲み水として、別に分けられてある。

部屋にも、大きな、水のタンクが置いてある。

ミネラルウォーターを買ったが、インドネシアのものだった。

1,5リットルで、一ドルである。

 

水道水は、色がついている。

シャワー以外は、使用出来ない。

 

一時間ほど、レストランで過ごした。

 

部屋に戻り、出掛ける準備をする。

食べ物を、すべて持った。昼に、食べようと思う。

 

島の先までは、歩くと、30分以上はかかるというので、タクシーに乗ることにした。しかし、そのタクシーは、中々来ない。

歩きつつ、通る車に手を上げる。

タクシーと、そうではない車を、見分けられないのだ。

タクシーは、運転席の前のフロントに、タクシーと、手書きで書いてある。

 

一台の車が、止まった。

タクシーではないが、乗っていいと言う。

後部座席に、二人の母娘が乗っていた。

私は、その母娘の後ろに乗った。

途中で、母娘が降りた。

 

野中と運転の男が英語で、まくし立てるように、話をする。

そこで、印象に残ったことがある。

道路である。

何故、道路の舗装がなされないのかということである。

結局、政治家が、支援金を、自分たちの、いいように使うからだという。

そこで、あの高校生の、男の子の、政治家になりたいという言葉が、思い出された。

 

どこの国でも、支援される国の政治家、いや、支援する国の政治家も、結局は、自分たちの、都合の良いように、支援金を使うのである。

勿論、学校教育は、無料であり、子供たちの医療費も無料である。

だが、多くの支援金は、有耶無耶になること、多々あり。

 

政治家になれば、お金を得られるということになる。

 

主要産業としては、農業の、ココナツ、タロイモ、バナナ等。そして、水産業であるが、全くなっていない。

漁師が、魚を捕らないのである。水産業も何も無い。

 

一時期、ココナツオイルの、工場があったというが、閉鎖されている。

 

日本との、貿易額を見ても、2005年では、輸出が190万ドル、輸入が899万ドルである。あまりにも、歴然としている。

地場産業を作らないのである。

収入を得るためには、海外に出稼ぎに出るしかないのである。

 

ただ、言えることは、環境破壊が無いということである。

それだけは、見事である。しかし、これからの、島の人の生活を考えると、何かの手立ては、必要である。

 

車は、島の先端の、ホテルに入った。

私たちは、車を降りて、写真を撮るために、浜に出た。

向こうに、夏島が見える。右手には、竹島である。

白い砂が、眩しく輝く。

 

ホテルの従業員が、声を掛けて来た。日系人である。

日本人が、懐かしいらしい。

皆で、写真を撮る。

 

車に戻り、昨日、野中が行った村に、行くことにした。

デコボコの道を、ゆっくりと、車が走る。

暫く、逆戻りすると、村に着いた。

 

そこで、男が、教会のミサに出るということで、車を返すことにした。

料金である。通常のタクシーは、50セントであるが、彼は、10ドルと言う。

野中が、交渉する。10ドルは、高いと。

すると、5ドルになった。それでも、高い。しかし、私は、もういいと思い、5ドルを出した。

男の言い分は、ガソリンが高いと言うのだ。

収入の無い人には、出来る限りお金が欲しいと思うのは、当然である。

5ドルは、大金である。

10ドルから、半額になるのも、おかしいが、タクシーではなく、好意で、乗せてくれたと思い、支払った。

 

収入の無い、島の人の、買い物は、一ドル以内である。セント単位の買い物である。

しかし、それも、ままならないのである。

だが、その貧困を、支援する理由にすることは、無い。

それが、島の経済システムである。

支援は、それを、破壊しないようにしなければならない。

つまり、持てる者と、持たない者との、差を作ってはならないのだ。

 

何でもかんでも、金を出せば良いということではない、ということだ。

島の人の、自立を促し、島の人の生活を、破壊しない、支援である。

実に、慎重にならざるを得ない。