14日、ゲストハウスを後にして、ウドーン・ターニ行きのミニバスが出る場所に着いた。
私は、夏大島を着た。更に、単の紺の大島の、羽織である。
全くの日本人である。
夏大島は、白であるから、目立つ。
ゲストハウスの、清掃のおばさんが、すぐに見つけて、近づき、オー、オーと、声を上げていた。
この地に、着物で来る日本人は、いないだろう。
ミニバスだと、思っていたが、普通の乗用車であった。
お客が、三人であるからだろう。
私たちの他には、黒人のおじさんが一人だった。
Pm3:15に、出発した。
それが、また、早い。スピードを出すのである。
15分程走ると、検問のようなものがあり、車が、止められた。
警官もいる。
女の子といえるような、年齢の子が、何かを運転手に話ている。
運転者が、それに、答えた。
意味は、全く、解らない。
すぐに終わり、再び走り出した。
それが、きっかけで、皆で話合うようになった。
野中が、どうしたんですかと、訊いた。少し、タイ語が解るが、内容まで、解らなかったのである。
運転手が、一ヶ月の給料を、訊かれたと言う。
私が、エッーと、声を上げて、英語で、いくらですかと、尋ねた。
6000バーツだった。約、2万円である。
今度は、黒人の携帯電話が鳴った。
その会話を聞いて、私は、野中に、何語なのだろうと、言うと、フランス語かなーと、言う。そして、私に、訊いてみたら、と言う。
それにしても、フランス語の語感が、感じられない。
私は、英語で、どちらからですか、と尋ねた。
すると、黒人は、コートボワールというではないか。アフリカである。
エッー、私は、声を上げた。
黒人の方は、私に、ジャパンと、訊く。
イエスと言うと、握手を求められた。
英語で、話出した。
日本にも行く、これから、中国に行きますと。
私は、どんな仕事をしているのですか、と、中学二年生程度の英語で、訊く。
彼は、何と、商人である。
中国でも、商売をしていて、色々と見て周り、新しいビジネスを、探していると、言う。
ヘェー、私は、声を上げた。
そして、更に、英語で話し出した。
よく解らないから、野中にバトンタッチである。
半年後に、日本に行くので、私に、電話番号を教えて欲しいと言う。
野中が、すぐに、携帯の電話番号を書いて渡した。
その内に、彼の電話が鳴る。
話の内容から、相手は、女ではないかと思えた。
さらに、また、電話である。
英語や、母国語、色々と、混じる。
続けて、電話が多かった。
今夜は、バンコクに泊まるということが、解った。そして、女と会うことも、解った。
私たちは、日本語で、色々、女いるね、と話した。
中には、家族からではないかと、思える電話もあった。
それにしても、身軽である。
小さな、バッグ一つである。
野中の分析は、要するに、ビップなのだという。ホテルも一流に泊まり、余計な物を、持ち歩かないのだと。
携帯電話は、二つある。
私は、とんでもない人に、会ったのかもしれないと、思えた。
車は、猛スピードで、道路を走る。高速道路並みである。
対向車線の、間にあるスペースには、一定間隔で、国旗と、王旗が、たなびく。
本当に、タイの国は、その、旗を多く見る。
至る所に、掲げてあるのだ。
王室のマークも、覚えてしまった。
王様の、Tシャツを着ている人も、ひと目で解る。
さすがに、ノーン・カーイでは、他の土地より少ないが、着ている人がいた。
私は、国旗と、王旗を見るたびに、いつも、タイ国民の心意気を感じるのだ。
私たちは、タイ国民ですという、意思表示である。
国民の、95パーセントが、国王支持であるから、驚く。
現在の、プーミポン国王は、ラッタンナコーシン朝の第9代の国王である。
ラーマ九世とも、呼ばれる。
2006年六月に、在位60周年を迎えた。
その式典の日に、私は、バンコクにいた。
人々が、皆、国王の黄色のTシャツを着て、バンコクが、黄色に染まっていたことを、思い出す。
空港に着いて、飛行機が、三時間遅れであることを知り、愕然として、空港の中を、ブラブラして、私は、外に出て、タバコをふかし、出入り禁止の扉から、出入りしていた。
警備の男たちと、仲良くなったせいもあり、誰も、咎めないのである。
空港に入るのに、検査があり、出たら、再度、入り口から入るのである。が、私は、出口から、出入りしていた。
タイでは、禁煙政策が取られて、実に厳しい。
一人の、警備の若者に、ユー、ナイスガイ、本日は、バレンタインデーである。沢山、チョコレートを貰うだろうと、話しかけた。相手は、少しだけ、英語が出来るのが幸いした。
それで、色々とやり取りした。すると、警備員が、集ってきた。
兎に角、何でもいいから、話し掛けることである。
こちらから、飛び込んで行けば、相手も、胸襟を開く。特に、タイの人は、優しい。
一人の警備員が、俺は、一人もいない、という。ガールフレンドだ。
悲しいと、涙を流すまねをするので、私が、タバコを一箱上げた。
喜んだ。すると、色々と自分のことを、話す。この付近に住んでいるだの、家族のこと。ありったけの、英語で喋る。
よく解った。
ちなみに、タイでも、バレンタインデーは、お祭りである。
新聞には、この日の、男女間のセックス相談員の記事が載っている程である。
警備員とは、それで、仲良くなり、出口から、出入りして、時間を潰していた。
さて、搭乗時間、一時間前になり、私たちは、待合ロビーに入った。
その前で、検査がある。
ビーと、鳴る。
着物の袖のものを、すべて出す。
ペットボトルは、駄目なはずだが、検査官が、いいよと言う。
ビーと鳴る。
ああ、またかと、思った。
しかし、検査官は、丁寧に、私の体に、棒を当てて、検査した。何でもない。
オッケーである。
私が、特に書きたかったのは、ここからである。
待合ロビーには、テレビが何台か、つけてある。
六時になった。
その時。どこかで、聞いたことのある、メロディーが流れた。
すると、ロビーの雰囲気が、変わったと気づく。
それでも、私は、椅子に腰掛けていた。すると、野中が、私に、起立だよと言う。
はっとして、すぐに、起立した。
見ると、向こうの欧米人も、起立している。
国王の歌が、流れたのである。
ロビーにいた人々が、全員起立した。
国籍、関係なくである。
欧米人たちも、国家意識が強いから、こういう、作法を、当然だと思うだろう。
日本人は、私たち、二人のみである。
もし、ここに、日本の若者がいたら、何のことか、解らない。解っても、関係なと思い、平然として、腰掛ていたかもしれない。そういう、教育が、されないからだ。
タイでは、僧侶と、国王に対しては、特別の敬意を払うのが、当たり前である。
旅人でも、である。
国王に対する、不敬は、国民が許さないだろう。
日本の天皇に対する、作法が、こうでないことが、有り難いし、また、ある意味不幸なことである。国家意識の、希薄である。
国家の意識を持てないでいる、子供たちから、若者である。勿論、今では、中年、老年に至るまで。
ホント、幸せなことである。
国王は、タイの、民主化を推し進めて、象徴たろうとしている。
日本の天皇は、憲法で、象徴である。
タイの国王の歴史は、200年ほどである。日本は、2668年である。
世界に冠たる、天皇の歴史である。
大陸にあり、多くの国との、軋轢等々により、国家意識を、強く持つことで、歴史を作ってきたのである。当然の帰結で、国王を国として、置き換えて、敬意を払う。
真っ当な感覚である。
国家幻想の、一番良い方法なのではないかと、私は、考えている。
軍事政権の将軍より、遥かに良い。
ネパールのように、国民に、退位を迫られた国王もいる。余程、愚かだったのだろう。
国家幻想に、象徴がある方が、安定するのである。
物ではなく、人間が、介在した方が良い。
遅れていた飛行機の時間だが、その時間より、40も早く、機内に入ることが、出来た。
私は、座席に座り、そのまま、寝てしまった。
目覚めると、もうすぐ、バンコクだった。
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