木村天山旅日記

タイ・ラオスへ 平成20年2月

第十一話

14日、ゲストハウスを後にして、ウドーン・ターニ行きのミニバスが出る場所に着いた。

 

私は、夏大島を着た。更に、単の紺の大島の、羽織である。

全くの日本人である。

夏大島は、白であるから、目立つ。

ゲストハウスの、清掃のおばさんが、すぐに見つけて、近づき、オー、オーと、声を上げていた。

 

この地に、着物で来る日本人は、いないだろう。

 

ミニバスだと、思っていたが、普通の乗用車であった。

お客が、三人であるからだろう。

私たちの他には、黒人のおじさんが一人だった。

 

Pm3:15に、出発した。

それが、また、早い。スピードを出すのである。

15分程走ると、検問のようなものがあり、車が、止められた。

警官もいる。

女の子といえるような、年齢の子が、何かを運転手に話ている。

運転者が、それに、答えた。

意味は、全く、解らない。

すぐに終わり、再び走り出した。

 

それが、きっかけで、皆で話合うようになった。

野中が、どうしたんですかと、訊いた。少し、タイ語が解るが、内容まで、解らなかったのである。

運転手が、一ヶ月の給料を、訊かれたと言う。

私が、エッーと、声を上げて、英語で、いくらですかと、尋ねた。

6000バーツだった。約、2万円である。

 

今度は、黒人の携帯電話が鳴った。

その会話を聞いて、私は、野中に、何語なのだろうと、言うと、フランス語かなーと、言う。そして、私に、訊いてみたら、と言う。

それにしても、フランス語の語感が、感じられない。

 

私は、英語で、どちらからですか、と尋ねた。

すると、黒人は、コートボワールというではないか。アフリカである。

エッー、私は、声を上げた。

 

黒人の方は、私に、ジャパンと、訊く。

イエスと言うと、握手を求められた。

英語で、話出した。

日本にも行く、これから、中国に行きますと。

私は、どんな仕事をしているのですか、と、中学二年生程度の英語で、訊く。

 

彼は、何と、商人である。

中国でも、商売をしていて、色々と見て周り、新しいビジネスを、探していると、言う。

ヘェー、私は、声を上げた。

そして、更に、英語で話し出した。

よく解らないから、野中にバトンタッチである。

 

半年後に、日本に行くので、私に、電話番号を教えて欲しいと言う。

野中が、すぐに、携帯の電話番号を書いて渡した。

 

その内に、彼の電話が鳴る。

話の内容から、相手は、女ではないかと思えた。

さらに、また、電話である。

英語や、母国語、色々と、混じる。

続けて、電話が多かった。

 

今夜は、バンコクに泊まるということが、解った。そして、女と会うことも、解った。

私たちは、日本語で、色々、女いるね、と話した。

中には、家族からではないかと、思える電話もあった。

 

それにしても、身軽である。

小さな、バッグ一つである。

野中の分析は、要するに、ビップなのだという。ホテルも一流に泊まり、余計な物を、持ち歩かないのだと。

携帯電話は、二つある。

 

私は、とんでもない人に、会ったのかもしれないと、思えた。

 

車は、猛スピードで、道路を走る。高速道路並みである。

 

対向車線の、間にあるスペースには、一定間隔で、国旗と、王旗が、たなびく。

本当に、タイの国は、その、旗を多く見る。

至る所に、掲げてあるのだ。

 

王室のマークも、覚えてしまった。

王様の、Tシャツを着ている人も、ひと目で解る。

さすがに、ノーン・カーイでは、他の土地より少ないが、着ている人がいた。

 

私は、国旗と、王旗を見るたびに、いつも、タイ国民の心意気を感じるのだ。

私たちは、タイ国民ですという、意思表示である。

 

国民の、95パーセントが、国王支持であるから、驚く。

 

現在の、プーミポン国王は、ラッタンナコーシン朝の第9代の国王である。

ラーマ九世とも、呼ばれる。

2006年六月に、在位60周年を迎えた。

その式典の日に、私は、バンコクにいた。

人々が、皆、国王の黄色のTシャツを着て、バンコクが、黄色に染まっていたことを、思い出す。

 

空港に着いて、飛行機が、三時間遅れであることを知り、愕然として、空港の中を、ブラブラして、私は、外に出て、タバコをふかし、出入り禁止の扉から、出入りしていた。

警備の男たちと、仲良くなったせいもあり、誰も、咎めないのである。

 

空港に入るのに、検査があり、出たら、再度、入り口から入るのである。が、私は、出口から、出入りしていた。

タイでは、禁煙政策が取られて、実に厳しい。

 

一人の、警備の若者に、ユー、ナイスガイ、本日は、バレンタインデーである。沢山、チョコレートを貰うだろうと、話しかけた。相手は、少しだけ、英語が出来るのが幸いした。

それで、色々とやり取りした。すると、警備員が、集ってきた。

兎に角、何でもいいから、話し掛けることである。

 

こちらから、飛び込んで行けば、相手も、胸襟を開く。特に、タイの人は、優しい。

 

一人の警備員が、俺は、一人もいない、という。ガールフレンドだ。

悲しいと、涙を流すまねをするので、私が、タバコを一箱上げた。

喜んだ。すると、色々と自分のことを、話す。この付近に住んでいるだの、家族のこと。ありったけの、英語で喋る。

よく解った。

 

ちなみに、タイでも、バレンタインデーは、お祭りである。

新聞には、この日の、男女間のセックス相談員の記事が載っている程である。

 

警備員とは、それで、仲良くなり、出口から、出入りして、時間を潰していた。

 

さて、搭乗時間、一時間前になり、私たちは、待合ロビーに入った。

その前で、検査がある。

ビーと、鳴る。

着物の袖のものを、すべて出す。

ペットボトルは、駄目なはずだが、検査官が、いいよと言う。

ビーと鳴る。

ああ、またかと、思った。

しかし、検査官は、丁寧に、私の体に、棒を当てて、検査した。何でもない。

オッケーである。

 

私が、特に書きたかったのは、ここからである。

待合ロビーには、テレビが何台か、つけてある。

六時になった。

その時。どこかで、聞いたことのある、メロディーが流れた。

すると、ロビーの雰囲気が、変わったと気づく。

それでも、私は、椅子に腰掛けていた。すると、野中が、私に、起立だよと言う。

はっとして、すぐに、起立した。

見ると、向こうの欧米人も、起立している。

国王の歌が、流れたのである。

 

ロビーにいた人々が、全員起立した。

国籍、関係なくである。

 

欧米人たちも、国家意識が強いから、こういう、作法を、当然だと思うだろう。

日本人は、私たち、二人のみである。

 

もし、ここに、日本の若者がいたら、何のことか、解らない。解っても、関係なと思い、平然として、腰掛ていたかもしれない。そういう、教育が、されないからだ。

 

タイでは、僧侶と、国王に対しては、特別の敬意を払うのが、当たり前である。

旅人でも、である。

 

国王に対する、不敬は、国民が許さないだろう。

 

日本の天皇に対する、作法が、こうでないことが、有り難いし、また、ある意味不幸なことである。国家意識の、希薄である。

国家の意識を持てないでいる、子供たちから、若者である。勿論、今では、中年、老年に至るまで。

ホント、幸せなことである。

 

国王は、タイの、民主化を推し進めて、象徴たろうとしている。

日本の天皇は、憲法で、象徴である。

タイの国王の歴史は、200年ほどである。日本は、2668年である。

世界に冠たる、天皇の歴史である。

 

大陸にあり、多くの国との、軋轢等々により、国家意識を、強く持つことで、歴史を作ってきたのである。当然の帰結で、国王を国として、置き換えて、敬意を払う。

真っ当な感覚である。

 

国家幻想の、一番良い方法なのではないかと、私は、考えている。

軍事政権の将軍より、遥かに良い。

ネパールのように、国民に、退位を迫られた国王もいる。余程、愚かだったのだろう。

国家幻想に、象徴がある方が、安定するのである。

 

物ではなく、人間が、介在した方が良い。

 

遅れていた飛行機の時間だが、その時間より、40も早く、機内に入ることが、出来た。

私は、座席に座り、そのまま、寝てしまった。

目覚めると、もうすぐ、バンコクだった。