木村天山旅日記

 

アボリジニへの旅
平成20年7月 

 

第7話

イルカラに出掛けて、疲れた。

帰りも、同じイラン人の運転手だが、もう、言葉は交わさなかった。

 

単なる、疲れではない。

私は、部屋に入り、もう、どこにも出て行きたくないのである。

野中が、お湯を沸かして、紅茶を煎れた。

 

書くのを、忘れたが、アートセンターでの、最後は、楽しかった。

野中が、一本の、イダキを買うため、色々と、探っていたのだが、その、イダキを吹く音がするので、館内に入り、更に、職員専用の、広場に出た。

 

おばさん二人が、イダキの、絵模様を描いている。

そして、子供たちが、野中と、一緒に、イダキを吹いているのである。

 

館内には、イダキを売る専用の部屋があるが、子供たちのために、子供に合わせた、イダキを陳列している場所もある。

子供たちは、好きに、吹いていいのだ。

 

7歳から、10歳前後の子供たちが、イダキを吹く。

上手だ。

野中の音とは、また、違う。

更に驚いたのは、子供たちが、イダキの伝統曲を、暗譜していることである。

 

私は、感激して、聴いていた。すると、子供たちは、いよいよ、盛んに吹くのである。

女の子もいたが、それは、男の子のものであるから、聴くのみである。しかし、女の子たちは、男の子たちを、見守りつつ聴くのである。

 

男の世界と、女の世界が、明確に分かれている。

それが、また、イギリス人を誤解させたのであるが。

 

野中が、女の子に、訊いた。

吹かないの。知っているけれど、私たちは、吹かないの。

知っているが、私たちは、吹かないという。それは、男のものである。

 

儀式も、男と、女の儀式は、違う。

 

また、もう一つ、明確に、区分けされているものがある。

陰陽という、考え方が、東洋思想にはあるが、アボリジニには、イリチャと、ドゥワァという、区分けがある。

それは、子供の頃から、教えられる。

非常に難しいことなので、後で書く。

 

私は、一生懸命に、イダキを吹く子供たちに、何かをプレゼントしたかった。

そこで、思い出したのが、野中が、皆、ペロペロキャンディが好きだということだった。

 

私は、センターの前にある、スーパーに、走った。

そして、キャンディーを、買った。

一袋に、四個セットの、キャンディーが入っているものを、三個買った。全部で、12個である。

それを、ばらして、子供たちに、配った。

わーーーと言って、子供たちが、集った。

 

子供服の時とは、大違いである。

もう一つ、もう一つと言う子もいる。

 

その時、丁度、タクシーが来たので、早々に退散した。

 

私は、部屋の前のコーナーに、座り、タバコをふかした。

野中も、出て来た。

野中には、ペットボトルの水を買って来て貰うことにした。

 

私は、浴衣を脱ぎ、シャワーを浴びて、タイパンツに、着替えた。

そして、ベッドに横になった。

 

時々、ギャギャーと鳴く、オウム、ホワイトカカトゥという鳥の鳴き声が聞こえる。

この鳥は、白くて美しいが、鳴き声が、喧しい。

頭についている、冠が、特徴的だ。

 

そういえば、この、ホワイトカカトゥが、聖地に行く私たちに、一羽、案内するように、着いて来ていた。あたかも、案内する如くである。

 

その夜も、早々にベッドに就き、寝た。

 

最後の日である。

ダリンブイに行くことを、止めたので、追悼慰霊の儀を、どうするかと、考えた。

 

朝、モーテルに備え付けの、インスタントコーヒーを、飲んで、考えた。

兎に角、一度、街に出て、少し買い物をしようと思った。

 

この日に、起こることは、想像もしていない。

何が起こるかは、その時に解る。

 

ぶらぶらと、歩いて、道沿いにある、カトリック教会に、入った。

扉が開いている。

つまり、安全な街なのである。

 

プロテスタントの、チャペルにはない、聖母の像がある。

聖水もある。

祭壇の前で、写真を撮る。

父と子と精霊の御名によりてアーメンと、唱える。

 

私の少年時代は、カトリック教会の思い出ばかりである。

思い出は、人生である。

 

今、跪くことはしないが、思い出は、大切である。

未だに、最初に手にした聖書と、祈祷書を、持っているのである。

ボロボロである。

 

今回は、実は、ロザリオを持って来ていた。

何かのためにである。

ロザリオの祈りは、聖母を通して祈るものである。

アベマリアへの、祈りである。聖母を通して、イエスに行くものである。

プロテスタントとの、論争が、最も、大きい問題である。

聖母像は、偶像である。

 

人は、何故、祈るのか。

そして、祈りとは、何か。

古神道では、明確である。

いのり

い宣り、である。言葉は、すなわち、言霊であり、それは、音霊が、動くものである。

イ音は、受け入れる意味である。

のオ、とは、オの、送る音である。そして、更に、りイと、受け入れる。

 

言葉自体が、動くのである。

故に、言葉は、カミであるとする。

カミとは、霊である。つまり、言葉は、霊なのである。

霊は、目に見えないものである。音も、目に見えないが、耳に聞こえるものである。

耳に聞こえないものも、ある。

最後は、だから、黙祷という姿勢になる。

慰霊の儀を、執り行って、解ることは、黙祷の意義である。

最高の祈りは、黙祷である。

 

教会を出て、別の道から、繁華街に向かった。

すると、二人のヨォルングが、道端に座っている。

 

私は、ヨーと、声を掛けた。

おじいさんである。

二人は、手を上げた。

 

そして、一人の老いた、おじいさんが、私に話し掛けた。

それが、何と、長老と言われ、世界的な、イダキの名手である、ジャルーの、兄弟だったのだ。

 

実に、親しげに、話し掛けるのである。

私は、タバコを二人に差し上げた。

すると、私に何やら言うのである。

別のおじいさんが、言った言葉に、野中が、驚いた。

 

先生、と、私を呼ぶ野中。

ジャルーの、弟さんだよ。

そのおじいさんは、私に、歌を歌う者だと言った。

 

野中は、おじいさんに、一度逢っていますと言った。

コタです。

野中は、一度、ジャルーに逢いに、ここに来ている。

コタ。

はい、コタです。

 

それから、驚くことばかりが、続いたのである。

 

兎に角、ジャルーの弟さんは、私と、以前からの付き合いのような親しさである。

そして、ジャルーは、今日から、ここにいると言うのである。

そこに、家族も、やって来た。

彼の、娘たちである。

私は、皆に、タバコを差し上げた。

 

暫くの会話である。

 

ようやく、私たちは、買い物をするために、スーパーに向かった。

野中は、ジャルーが、いると、興奮していた。

逢えるかもしれないという、思いであたろうと、私は、思った。

 

買い物を、終えて、私たちは、また、来た道を戻ると、先ほどの、家族が、皆揃っていた。

私は、再び、おじいさんの、横に座った。

 

野中が、何か話す。

お金が無くて、車を待っていると言う。

要するに、タダで乗せてくれる車を、待っているのである。

 

彼らは、スキービーチに帰るのだ。

 

私は、それなら、一緒にそこに行くと、言った。

タクシーを呼んでくださいと、家族の人に言った。

 

娘の一人が、飛び出すように、タクシーを、呼ぶために、走った。

一台の、ワゴン車が来た。

七人、それに乗った。

 

20ドルである。

私たちの好意を、運転手は、理解したのだ。

 

その、ビーチは、実に美しいビーチで、昨日のアメリカ人のカップルが、教えてくれた場所である。

 

15分ほどして、おじいさん、二人が降りた。

私たちも降りて、最後の握手をし、写真を撮った。

 

そして、娘さんの家に向かった。

その、ビーチの道は、両側に、海があり、見るに値する風景である。

 

一軒の家の前に、車が止まり、皆が、降りた。

私たちも、降りて、矢張り、写真を撮った。

次に来た時は、来てくださいと、言われた。

 

車に乗り込むと、運転手が、サービスで、少し辺りを回ってくれた。

 

そして、その運転手が、何と、ジャルーの、娘さんと、結婚して、私たちが、行くはずだった、ダリンブイに住んでいると言うのである。

 

出身は、トンガである。

更に、ダリンブイの、若手三人兄弟の、イダキ奏者の、マネージャーも務めているというのである。

野中が、驚いた。

ヨーロッパ公演などしている、グループである。

 

話は、尽きなかった。

帰り道は、大いに盛り上がった。

次に、来た時は、空港に迎えに来てくれ、ダリンブイに、テントを張り、泊まるようにと言う。

グループの者の、車を使うので、ガソリン代だけでいいという。

 

彼は、ゴーブに一軒だけある、タクシー会社の社員だった。

タクシー運転手は、ほとんどが、海外から来た者である。

 

トンガでは、成績の良い者は、皆、他国に出稼ぎに行くという。

彼も、その一人で、ここで、結婚したのだ。それが、ジャルーの娘だった。