トンガ出身の運転手さんは、トラさんと言った。
すぐに、覚えた。トラさんである。寅さん、であると、私は、勝手に覚えた。
トラさんとは、連絡先を、交換して、次に来る時には、あらかじめ連絡して、ダリンブイに滞在すべく、手配してもらうことになった。
私たちは、街の図書館まで、送ってもらい、別れた。
図書館には、インターネットの設備があるからだ。
無料サービスである。
ところが、日本語での書き込みが、出来ない。
折角だが、ただ、見るだけである。
私たちは、図書館から、歩いてモーテルに向かった。
買い物をしていたので、それを、持ってである。
とぼとぼと、歩いた。
そして、広い芝生の前に来た時、二人の女性を見た。
ヨーと、声を掛ける。
ヨォルングの人である。
それが、また、話し掛けてくる。
何と、ジャルーの娘さんと、孫娘である。
私たちに、ジャルーは、午後から、家にいるよ、というのである。
何も、彼女たちは、知らないはずである。
これは、何としても、ジャルーの家に行けということである。
すでに、昼を過ぎているのである。
もう、ジャルーは、家にいるであろうと、推測した。
私たちは、モーテルに戻り、簡単に食事をして、出掛けることにした。
そこは、イースト・ウディ・ビーチという海岸であるから、私は、そこで、追悼慰霊の儀を行うと決めた。
野中が、何か、お土産を持って行きたいと言うので、それなら、お供え物として、持って行き、それを、最後にプレゼントするといい、ということになった。
早速、裏のスーパーに向かった。
牛肉や、飲み物、紅茶などを、買った。すべて、野中が、選んだ。
それを持って、モーテルに戻り、タクシーを呼ぶ。
来たタクシー運転手は、あのイラン人である。
今度は、どこ、である。
ジャルーの家だと言うと、すぐに、発進した。
有名人であるから、知っているのだ。
15分程で、到着した。
砂浜である。
何件かの家が、建つ。更に、テントも、二つある。
そこには、ジャルーの家族が住んでいた。
私たちは、最初の家に入った。
あっちと、その先を指差す。
何も説明していないが、ジャルーに逢いに来たと、思っている。
後の家が、ジャルーの家だった。
そこに、入った。
ジャルーの娘の一人が、絵を描いている最中だった。
挨拶して、自己紹介した。
その絵は、聖地をイメージしたもので、真ん中に、蛇、そして、周囲に睡蓮の花である。
蛇と、睡蓮の花の組み合わせは、ヨォルングの伝承である。
実に、意味深いものである。
あの、聖地の下には、先祖霊が、蛇の姿で眠っているというものだった。
そして、睡蓮の花の咲く時期は、とくに大切な時期なのである。
先祖の夢が、目の前のすべてのものだという、考え方をする、彼らの、最大のドグマを、象徴した絵である。
彼女の口から、意外な言葉を、聞いた。
本当は、ジャルーは、いるはずだったが、突然、ジャルーの妹が亡くなり、儀式のために、出掛けたというのである。
ここまでの経緯を、考えると、当然、ジャルーに逢うものとばかり、思っていた。それが、違った。
しかし、落胆した表情は、見せなかった。
私は、本来の目的を、野中に、通訳させた。
日本から、先の大戦で、被害を受け、犠牲になった、アボリジニの人々の霊を、慰めるために、ここに来たと説明した。
彼女は、何の違和感もなく、それを、受け入れた。
彼女の、夫や、子供たちも、集ってきた。
説明して、すぐに、私たちは、海岸に出た。
砂浜が続く。その先が、海である。
少しばかり高い場所を選び、供え物を置いて、慰霊の準備をした。
いつもは、供え物は、置かない。
神道の祭壇には、多くの供え物が、並ぶ。すべて、決まっている。
神様に、捧げる、地の恵みである。そして、お神酒である。
しかし、私は、一切、置かない。
あちらが欲するものは、ただ、真心だけであるからだ。
ちなみに、土地の霊位などには、供え物を上げる。産土の神々である。
今回は、お土産として、持ってきた物を、供えた。
それは、また、差し上げる、相手にも受け取りやすいと、思った。
一本の枝を折り、御幣として、捧げた。
そして、神呼びをする。
即座に、祝詞が口を付いて出た。
ここでは、祝詞が、唱えられた。
更に、清め祓いの時に、兎に角、飛び跳ねたい気持ちになった。
それを、抑えて、四方を清めた、そして、追悼慰霊の心を持って、神遊びの、音霊をしばらく発した。
素晴らしく、心が、解放される。
そう、私は、このために来たのである。このためだけに、来たのである。
すべてを終わり、後片付けをして、供え物を、再び袋に入れて、ジャルーの家に戻った。
私たちの行為を、見ていた子供が、すぐに、真似て、拍手を打つ。
小さな子は、全裸である。
供え物を、娘さんの前に置き、報告した。
彼女は、じっと、私を見つめた。
理解している。
儀式を、最も大切にしている、アボリジニである。
説明はいらない。
彼女は、何度も、私たちに礼を述べた。
供え物も、喜んだ。
しかし、皆、一応に、ジャルーが家にいると、私たちに教えたのである。
何故か。
そして、そのジャルーは、妹さんが亡くなり、儀式のために、出掛けた。
皆と、写真を撮った。
子供たちが、楽しそうに、私たちの周りに集う。
写真を撮ると、私の膝に、乗った子もいた。
そして、もう一軒の、娘さんの家に行った。
野中が、娘さんに、話しかけている。
子供たちも、出て来て、私たちに、挨拶する。
ジャルーの孫娘たちは、皆、可愛い。年頃の子は、美人である。
おかあさんが、私に、スピリットは、どうなったのかと、訊く。
野中が、通訳してくれた。
私は、天にあると、答えると、深く頷き、納得した。
実は、この行為も、皆、何の抵抗もなく、受け入れているのである。
その時、車が到着した。
ジャルーの奥さんが、帰って来た。
野中は、奥さんに初めて逢うので、感激していた。
白人男性も、降りて来た。
そして、私たちに、日本語で、挨拶した。
妻と娘が、日本語教師をしているという、日本通の白人だった。
私たちが、奥さんに、事の顛末を説明すると、その男性は、シントーと、言った。
イエス、オールド神道である、と、私は答えた。
奥さんは、大変喜んでくれた。
丁度、イダキの材料となる、ユーカリの木を切り倒してきたと言う。
先ほどの家にも、造りたての、イダキが、何本も置かれていた。
奥さんは、野中に、あなたが欲しいなら、分けて上げると言う。それが、野中の、悩みになるのであるが、後で書く。
男と、女の儀式は、区別されていると、書いた。
夫の、妹が亡くなっても、彼女は、ここにいる。その儀式は、別グループのものである。
また、車が来た。
今度は、ジャルーの後継者である、息子さんだ。
野中も、初めて逢う。
皆が、集い、大変な賑わいになった。
彼は、ジャルーから、すべてを、伝承されている。
つまり、次の長老である。
私は、素晴らしい出会いをした。
ここで、余計なことを書く。
奥さんと一緒に、同行していたのは、キリスト教の、ミッション系ボランティアである。アボリジニたちを、助ける組織を作っている。
そこまでは、よい。
私が、奥さんの、膝を心配して、手を当てて、祈りますと言うと、横から、ここの人々は、キリスト教徒ですと言う。
カトリックかと、訊くと、違うという。
プロテスタントの一派である。
実は、カトリックと、プロテスタントの、ボランティア縄張りの、暗黙の、確執がある。
それぞれが、アボリジニを、信者に、取り込むために、様々な、ボランティア活動を行うのである。
彼は、私を牽制したのである。
他の宗教に、対する態度は、一神教は、特に激しい。
彼らは、それが、偽善であるとは、気付いていない。
非常に、有意義なことをしていると、信じている。
アボリジニの伝承と、伝統を破戒したのも、彼らである。そして、アボリジニの精神を、破壊する行為を続けて、今は、それらを、助けていると、信じているのである。
その、矛盾にすら、気付いていないのである。
重病である。
彼らは、自分たちが、理解出来ないものは、悪であり、悪魔からのものであると、考える。
勿論、悪魔的なのは、彼らである。
自分たちの価値観以外のものを、受容出来ないのである。
彼は、私たちに、非常に好意的だったが、それと、これとは、別物である。
私は、野中から、ジャルーは、カトリックのアボリジニの、まとめ役をしていると、聞いていた。
キリスト教と、上手に付き合っていかなければ、アボリジニの生活が、成り立たないのである。そこまで、追い詰めたのも、キリスト教徒である。
アボリジニたちは、表向きは、キリスト教徒となり、伝承と伝統は、守りつつある。苦肉の策である。
それは、見ていて、痛々しい。
タクシーを呼んでもらい、モーテルに戻ることにした。
その間に、息子さんや、奥さんと、写真を撮った。
息子さんは、少しアホのように、見せる演技をしている。多くの摩擦を、避けたいのであろう。それも、心が痛んだ。
ジャルーの後継者であるということでの、ストレスは、大きいはずだ。
ジャルー亡き後、彼は、すべての重責を負うのである。
様々な、思惑を持った者、大勢いる。
アホを演じていなければ、ならないほど、辛いことはない。
私たちにも、今、サッカーの練習をして来たという。
私の肩を抱き、写真に収まった。
タクシーに乗り、私は、野中に言った。
慰霊の時、どうしても、飛び跳ねたくなった、と。
それは、彼らは儀式の時に、飛び跳ねるからだよ、と言う。
あっ、そう。
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