第9話
ヤンゴンから、車で、北へ一時間の所に、新しい日本兵の慰霊碑がある。また、南へ、一時間半の所に、昔からの、戦争犠牲者の慰霊碑がある。
今回は、新しい北の慰霊碑へと、考えていたが、変更した。
非常な疲れもあったが、長井さんが、射殺された、デモの通りでの、慰霊と、考えた。知られていないが、多くの人が、特に、僧侶達が、殺されている。
非常に、心を痛めた。
更に、長井さんの、泊まったホテルに、偶然に来たということも、何か意味深いものを、感じた。
この世の中に、偶然は無いという、考え方もあるが、あえて、偶然と言う。
あの、若い僧侶と、会わないと、決めて、変更したホテルである。
まさに、偶然である。
更に、私たちの、足取りを、最初のホテルのインド人社長に、気づかれないようにとの思いもあった。あの、僧侶に次のホテルを、教えていたので、心配になって、変更したのだ。僧侶が、私たちの変更したホテルを教えると、危ういと、思った。
コータに、明日は、通りで、慰霊をすると言うと、心配する。
それで、私は、ホテルの祭壇で、祝詞を上げて、通りでは、ただ、清め祓いのみをすると、言った。
ホテルの社長からも、目立つこと、つまり、花を置いたり、長く祈ったりすると、人が集まり、結果、警察に拘束されて、ホテルの名を聞かれて、警察が、ホテルに来ると、言われていたこともある。
瞬時のうちに、それを行い、何食わぬ顔で、その場を立ち去るということにした。
当日、朝の食事をした時も、社長から、色々な話を聞いた。
それは、社長が話したという形ではなく、この旅日記に、書いている。
どこで、どのように形で、伝わるかしれない。つまり、社長に、迷惑を掛けることを、避けるためだ。
話は、変わるが、このホテルには、ある、ポスターが貼ってあった。
そこには、児童買春は、犯罪です。児童買春ノーと、書かれてある。
つまり、児童買春が、行われているということだ。
それは、中部のタチレクという、タイとの、国境の町でも、そうだった。確実に、児童買春が行われて、日本人も、出掛けていると、聞いた。また、その証拠もあるということも。
これ以上は、書けない。
ただ、確実に、日本人も、お客になっているということだ。
さて、慰霊のことである。
マニラでも、今までにない、体験をしたが、ここでも、今までにない状態を、経験した。
これから、始めるという時に、部屋で、私の両腕が、震えだした。
寒くもなく、何もないはずだが、兎に角、ガタガタと、震えだす。
おかしい。
恐ろしいとも、思っていないのだが、どうしたことだろうか。
私は、実に不思議に思った。
そして、ホテル、二階部分にある、日本で言えば、仏間のような場所がある。仏を飾り、ビルマ人の仏教信仰の、普通の形である。
そこで、祝詞を唱えようとした時、今度は、両足が、ガタガタと、震え出したのである。
これは、急ぎ、祝詞を唱えて、実行すべきだと、神呼びをして、唱え始めた。
すると、震えが、収まり、次第に、体が、普通に戻る。
急いで、通りに向かった。
今回は、花を買い、それを、御幣と、見立てて、祓いにしようと思ったが、通りに出ると、いつも見た花売りがいない。
それで、通りの、木の枝を捜した。
デモ隊が、衝突した交差点に出た時、そこにあった、木の枝を一本折った。それを、御幣として、創り、後で知るが、私は、何と、警察の出先所の、目の前で、太陽を拝し、拍手を打ち、兎に角、四方を清め祓いし、追悼の思い深く慰霊したのである。
そして、すぐに、御幣を懐に入れて、その場を離れた。
離れた所で、コータが写真を撮った。
歩き出すと、日本語で、今、何をしていたのでか、と、男に尋ねられたが、コータが、何もしていませんと、答えた。
しかし、コータが、見ていると、その行為を、知っているような、おばさんなどが、足を止めていたという。
私たちは、すぐ側の屋台の店に向かい、一軒の屋台の店の、椅子に腰掛けた。
そこで、昼ごはんを食べることにした。
麺類の屋台で、それはそれは、不衛生な屋台である。
緬を選び、スープを入れてもらう。
何という名の料理なのかは、解らない。
立ち食い蕎麦の、雰囲気である。
緬を選ぶと、まだ若い男が、手づかみで、それを、丼に入れて、具を入れ、更に、手で少しかき混ぜる。それが、とても、不衛生に見えるのである。その手を、濁った水で洗い、また、緬を取って、丼に入れて、混ぜるという、繰り返しである。
ところが、魚の出汁で作った、スープなので、美味しい。
複雑な心境で、食べた。
私たちは、二種類の緬を食べた。つまり、お代わりした訳である。
地元の人は、スプーンで、それを食べるが、私たちには、箸を渡してくれた。
先の、慰霊の儀での、興奮もあり、食べることに、集中した。
浴衣姿の私は、目立つ。
通る人々が、見て行く。
さて、慰霊の行為について、少し書く。
各宗教には、それぞれの、考え方があり、死者に対する所作も、それぞれ違う。
天国に行くという宗教は、天国に行くということで、死者に対する、慰霊という行為が、薄い。
そして、仏教も、浄土、仏になるという、考え方と、転生輪廻がある。今世の報いが、来世にある。であるから、今世は、前世の報いであると。
あまり、死者に対する、追悼の思いはない。
更に、日本の伝統である、清め祓いという、考え方はない。
ただ、上記の考え方は、為政者には、都合がよい。
現世が、苦しいものなのは、前世の報いであると、信ずれば、為政者は、支配し易いのである。
イスラムのテロリストたちは、死んでも、神の国で、美しい乙女たちに、仕えられると、教えられる。食べ物、性愛もある。
信じさせれば、済むことである。
清め祓いの行為は、日本独特のものである。
それは、自然によって、清められ、祓われてきたからである。
チューク諸島、旧トラック諸島に慰霊に出掛けた時に、その自然の有様に、十分に、清められ、祓われてあることを、感じた。
朝風、夕風の心地よさと、海の美しさは、限りない。
多くの死者の遺骨が、海底に沈むが、実に、自然の力で、清められていた。
それを、古の、神道行為では、人為的にも、清め祓いをする。
想念の浄化である。
霊を清め祓うのではない。想念を清めて、祓うのである。
残像と考えてよい。
その場に、残る想念を、一旦、風にしてしまうのである。
留まる、想念を、引き上げる。つまり、流すのである。
供養するという行為とは、別物である。
あれは、霊に対処する。
霊も、勿論、想念の一つである。しかし、一つの霊に対して、特別の行為は、必要ではない。
それは、その霊の自由である。
好きにすれば、いい。
人間は死んだら、何も無いとする霊は、そのように、なる。つまり、無いものだと、思い込んでいるから、言うべきこともない。
浮遊するものに、関わることはない。
想念は、固まる。ゆえに、古代人たちは、いつも、そこに風を通した。そして、想念を流した。それが、清め祓いである。
私も、それをする。
現代流に言えば、自己満足である。
それでいい。
それ以上の説明は、必要ない。
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