木村天山旅日

  ヤンゴンへ
  
平成21年3月 

 

第10

二人で、四杯の緬を食べて、1000チャット、100円である。

 

日差しが、どんどんと、強くなる。

三月からは、暑期に入る。そり前は、乾期で、雨期がある。

一番、暑い季節当来である。

 

三月のヤンゴンの、平均気温は、28,7度であるから、暑さが想像出来る。

ただ、朝と夕は、涼しい風が通る。

 

ホテルに戻る道で、果物を買う。

ほとんどが、300チャット、30円ほどである。

 

そこてで、パイナップルを買おうとすると、コータが、まだ、皮を剥いていないものを、と、言う。

四分の一が、250チャットなので、一つは、1000チャットである。

 

そうすることにした。

若い男は、手早く、皮を削ぎ落としてく。

そして、剥いたものを、一度、水につけようとするので、コータが、そのままと、言う。

その水が、汚いのである。

四分の一に、割り、それをさらに、カットする。

 

どうも、水につけることが、当たり前の感覚なのであろう。

その水が、濁って、そのまま使い続けているので、非常に不衛生である。

 

コータは、すいかを、食べて当たったが、それも、水のせいであると、思った。

私は、今回は、何事もなく、過ぎた。

 

ホテルに戻ると、どっと、疲れが出た。

 

一日が、一週間過ごしたような、疲れである。

一瞬の、慰霊の行為が、こんなに、疲れることは、今までになかった。

 

停電なので、電気が来るのを、待って、シャワーを浴びることにする。

 

私は、タバコをふかして、それを、待った。

二人ともに、無言である。

 

無意識の緊張感であった。

 

それは、マニラの、緊張感とは、違う。

マニラは、銃社会であり、いつ、撃たれるかもしれないという、明確な、緊張感。

ヤンゴンは、虚無の緊張感である。

つまり、妖怪である。

突然、ぬらりひょんが、出たり、砂かけ婆が出るという、感じ。

 

ちなみに、一つの寺院、パゴーに入ると、何ともいい得ない雰囲気がある。

 

仏の像があるのは、理解するが、その他、よく解らない像が多い。

だが、それらにも、信仰が集まる。

生まれた曜日の、それぞれの、守護の仏がいるというのは、理解するが、その他のものは、何かと、考える。

 

微妙に、ヒンドゥーや、チベット密教の影響も、受けているのである。

 

朝早くから、多くの人が、祈りに訪れる、寺の風景を見ていて、信仰のある生活の、美しさと、共に、庶民の信仰には、何か、現実逃避の潜在的な意識を感じた。

 

私が、感じたことであり、そうであるとは、言わない。

 

宗教と、軍事政権と、共産主義、全体主義に共通するものは、絶対支配である。

共に、反目しあっても、根は、同じであるから、うまく調整すれば、民を、思うがままに、支配出来るのである。

 

政治の堕落により、不都合なことが、多くても、宗教は、それを、難なく受け入れさせる力がある。

 

若い僧侶たちが、自発的に、デモを起こしても、チベットのように、高僧が、連行されて、殺されるようなことがないのは、高僧と、軍政が、つながっていると、見ていい。

 

私が伺った、高僧は、政府の許可書をもらうと、簡単に言った。

それだけの、力が自分にはあると、見せたかったのかもしれないが、それを、口に出来るということである。

 

そして、空港で、縁した、若い僧侶も、外国に、頻繁に出られる境遇であるということだ。彼の、友人達は、タイに逃れて、戻らないという。

では、彼は何故、自由な行動が出来るのか。

 

密告社会でもある。

そんな中で、彼は、自分の田舎の寺の再建のために、資金を集めると、国を出る。

それを、そのまま、信用するには、まだまだ、彼の行動を見ていなければならない。

 

実に、不透明である。

だから、妖怪が出る。

私も、ヤンゴンで、活動するならば、妖怪になることなのである。

 

漸く、バタンという音と共に電気がきたので、シャワーを浴びる。

 

そして、そのまま、ベッドで、休むしかなかった。

 

本当は、四週間滞在出来るが、私は、三泊四日とした。

予感が当たり、早々に、タイに戻りたいと思った。

 

明日の朝、六時にホテルを出て、空港に向かう。

 

それを、フロントに伝えると、実に親切な対応である。

私たちのために、ボーイ二人が、お世話して、五時半に、起こしてくれ、それから、朝食も準備し、車に荷物を積んで、見送るというものだ。

 

車の手配も、お願いした。

料金も、そこで決めて貰うので、交渉しなくていい。

6000チャットである。

 

夜の食事のために、外に出るのが、億劫で、ホテルの食堂で、済ますことにした。

 

ヤンゴンでは、日本料理屋で、一度だけ、マンダレービールを飲んだのみ。後は、一切、アルコールを欲しなかった。

毎日、日本では、酒を飲む私も、全く、飲みたくないのである。

 

食事の前に、荷物整理をするが、実に、簡単である。

支援物資が無くなると、ほとんど、荷物が無い。

三個のバッグが一つになり、後は、自分のバッグのみである。

 

買い物をした、ビニール袋を捨てずに、持ち帰る。

日本では、それを、ゴミ袋に使う。

 

アジアは、ビニールの袋で、溢れている。

これは、大量のゴミになるはずだ。

 

ミャンマーの時間は、日本時間より、一時間半遅い。

ミャンマーの、朝五時は、日本の六時半である。

タイに行くと、二時間遅くなる。

 

時々、日本時間を思い出して、体の調子と、合わせてみる。